blog in a bottle

音楽、本、映画などの私的メモ

ムーミン谷の冬

春や夏が社交的で活動的な人たちの季節だとしたら、冬は消極的で、部屋の中でひっそりと本を読んでいるのが好きな私達のような人間の季節だ。雪に閉ざされたムーミン谷に集まるのは、そんな静かな生活を好む人たちであり、スキーを楽しむような人種は疎まれてしまう。春が来る前は大嵐が吹き、極夜が終わり、オーロラが消え、凍った海が溶けていく。そんなダイナミックな季節の移り変わりの中に、雪どけの静謐な空気や、季節や物事が静かに変化していく時に感じる小さな幸せが描かれていて、胸がキュッとするような余韻が残る。

 

オッペンハイマー

悠久な宇宙の謎を解き明かすための学問であった物理科学。それを利用して、いつか世界を破滅させる破壊兵器を作り上げてしまった人類の、想像を超えた罪の深さと取り返しのつかなさ。そのような破壊兵器を手にしても、私怨やコミュニスト弾圧といった矮小な事柄に囚われ続ける、想像力を欠いた人々。

デューン Part 2

ドゥニ・ビルヌーブ監督版のデューンは、原作に沿いながらも、描かれない物語の隙間を、世界感を補完するように視覚化していて、それが、とても良かった。原作とは異なるが、人類の未来のために愛を諦めた悲壮感ある結末は悪くなかった。宗教的指導者と狂信者達の危うさは、昨今の現実社会ともリンクしてるだろう。ガーニーとハワトがジェシカを裏切り者と信じ込んでる展開がなかったのはまあ尺の都合かなと思ったが、妹が出てこないのは少しさみしかった。

Perfect Days

平山の世界には「今」と「今度」しかない。過去は寝たらリセットし、未来は全く予定を立てない。ゆえに毎日は常に未知で新しい。でも木漏れ日の影のようなわずかな違いに変化を感じ、未知の歓びを見出すのは、しがらみに囚われて忙しない生活をしている身には無理だろう。ラストの平山は、都会に生きる他者を想っているのか、それとも忘れてきた自分の過去を想っているのだろうか。

ゴジラ-1.0

三丁目とかドラ泣きだとか、この監督の描くドラマは自分にはちょっとウエット過ぎて、拒否反応が先に立ってしまう。市井の人々が戦争でどんなに深く傷つき苦しんでいようと、圧倒的な破壊の前では、人間など何の意味も持たないという、ゴジラの超越した存在感はすごく良かったのだけど。

リンダリンダリンダ

大人でも子供でも日常の中で何らかのストレスを感じて生活しているわけで、それは新しい環境での疎外感だったり、家事なんかの雑事だったり、友達とのすれ違いだったり、どうしても切り出せない片想いだったり。でもそういった日常のもやもやを、大音量のロック・ミュージックは一瞬で吹き飛ばしてしまう。たとえ一瞬のことではあっても、クランチギターを鳴らして何もかも吹き飛ばしてしまう、その感覚がロックンロールの根っこのエナジーだと思うし、この映画はそれをとてもうまく表現してると思う。

ザ・フラッシュ

主人公の青年の、陰キャ陽キャの演じ分けに感心し、悲しみに耐える表情と絶妙に流れる一筋の涙にジンときた。パラレルワールド✕時間旅行の展開は、散々マーベルを見た後では期待していたほどの新味を感じなかった。でもこの映画には、思い返したり見返したくなるヒーローショットがたくさんあって、近年のマーベルより印象に残った。近所のドラッグストアで、前傾姿勢でヨーイドンのポーズをしている子供を見た。自分も家でやってみた。