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たゆたう暮らし

自分はとても関心があるけれど、世の中的にはそうでもないような事をここに書き記す。

本の感想「中国行きのスロウ・ボート」村上春樹;車窓から都会の景色を眺めて感傷的になっていたあの頃

読書

 ここでいう中国はもちろん本当の中国ではなくて、主人公の頭の中にある、いつか辿り着きたい場所という暗喩としての中国です。小学生の頃に出会った中国人教師の「そして誇りを持ちなさい」という言葉が主人公の心に残って、やがて大きな位置を占めるようになり、中国という場所と結びついたのだと思います。

 脳しんとうを起こした時の主人公が無意識に発した言葉に「ほこり」という単語が含まれていたことからも、その言葉が心に刻まれていることが伺える気がします。

 (この辺の出来事の時系列ははっきりしてませんが、そもそも主人公の小学生時代の記憶はとても曖昧です。)

 

 次の中国人に出会ったのは19歳の頃。日本生まれの中国人の女の子で、東京という都会を、自分の居るべき場所ではないと感じていました。

 次は26歳の頃。主人公はたまたま街で出会った高校時代の中国人の知り合いを、異国で出会った同胞のように感じてしまいます。

 そして30歳を過ぎて、主人公は山手線の中から東京の街並みを眺めながら、自分がまだ「自分の居場所」といえる場所に辿り着いていないことをセンチメンタルに感じています。別に田舎で暮らしたいとかではなく、家族、子供がいることも関係ありません。

 最後に主人公は漠然としながらも、人生で誇りを持って目指す場所を心のなかに誓います。 

 

 この短編は遠い昔の学生時代、国語の授業で取り上げられて(本文をコピーしたプリントが配られて授業に使われたのだけど、それがいいのか悪いのかは知らない)、読書感想文を書いた記憶があります。どんなことを書いたのかは全く覚えていないけど、どうせ「自分の居場所はどこにあるのだろうか、云々」のような青臭いことを書いたんだろうなと思います。

 まあ「ここが自分の場所だ」って満ち足りてる19歳なんてそうはいないだろうから、それで正しいと思うけど。

 

 それからはるか年月が過ぎ、相変わらず都会のアパートに住んでいて、電車に乗ったら街の明かりを眺めたりはするけれど、今はもう自分の心の中に「ここは自分の場所ではない」っていう感覚は湧き上がってこないように思います。

 「自分の場所」「理想」「志」などなど、自分が既にそれを見つけたってわけではありません。単に「自分の場所がない」ことに慣れすぎて、何も感じなくなっているだけなのでしょう。 

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