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たゆたう暮らし

自分はとても関心があるけれど、世の中的にはそうでもないような事をここに書き記す。

空想と妄想の青春の一冊

特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/pdmagazine

 もともと物心つくかつかない頃から、僕は読書好きの子供だったみたいです。家にいるかいないか分からないくらい、静かに部屋で本を読んでいるような。

 小・中学校の頃も、はじめは学級文庫で。それから近所の図書館分館、時には移動図書館などで、それはもう毎週のように本を借りては読んでました。

 それから10代後半になっても、読書くらいしか趣味はありませんでした。その頃は、本を読んでは、だいたい遠い宇宙の物語に思いを馳せているか、童貞らしいエロな妄想に耽るっているかのどちらかだったと思います。

 または、今でいう中二病をこじらせたような症状の1つだと思うのだけど、世界の名作文学だけでも一生かけても読み切れないのに、新刊なんて読むのは時間の無駄であると嘯き、ヘミングウェイやらドストエフスキーやらディケンズやらを、片っ端から読んでいる時期もありました。

 学生時代は勉強がつまらなかったので、授業中にもずっと文庫本を読んでましたね。早弁する時みたいに教科書を机に立てかけたりして。

 学校には女子もほとんどいなかったし、草食系の走りみたいな自分の性格としては、まあ言ってみれば、空想と妄想の中で過ごした10代ってところでしょうか。

 

 青春時代の読書はこころや人生を豊かにしてくれるもの。ということで、今ではこんな立派なオトナになったので、別に悔いなんかはないんですが。ただそんな感じだったので、現実世界での10代の思い出ってあんまりないですね。

 

 小学館「P+D MAGAZINE」の「文学・文芸にまつわる、知っているとちょっと”カッコいい”と思われるような情報を集めて掲載」するキュレーション・メディアという趣旨とは全くそぐわない内容しか書けなくてすみません。

  実のところ、小学館に媚を売ってでも図書カードは欲しいんですが、青春時代のお供はハヤカワ文庫か新潮文庫が メインでした。正直に言うと、小学館ドラえもんくらいしか分かりません。

 もし図書カードをもらったら、今読みたいのは新訳版が出た「砂の惑星」です。それから「フラニーとゾーイー」の村上春樹訳が出ていると最近知ったので、それも再読したいですね。「フラニーとゾーイー」って今思えば自分にとって、中二病の終わりのきっかけとなるような本でした。 「ライ麦畑でつかまえて」が少年の世俗に対するフラストレーションを表現していたのであれば、逆に「大衆的であることを受け入れた時の成長」みたいな。

 どちらも小学館ではないんですが。

 

 ところで突然思い出したことを書きます。10代の頃、近くの町の二階建てくらいの書店で立ち読みをしていた時のことです。

 たぶん参考書コーナー辺りだったと思いますが、突然女の子に声をかけられました。

 本から目を上げると、そこにいたのは欧米系の白人で同い年くらいの可愛らしい女の子。もう記憶は定かではないけれど、ブロンドって感じではなかったので、たぶんブルネットとかだったでしょうか。

 女の子「スミマセン」

 僕「は、はい」

 女の子「コレハナントヨミマスカ?」

 

 留学生だったのかもしれません。日本語の教科書を持って、発音を聞いてきたのでした。お金を節約しているのか、書店の立ち読みで勉強してたんですね。

 女の子から本を受け取ると、そこにはローマ字と、英語の意味が書かれていました。

 想像してみて下さい。本を持つ自分と、すぐ脇から体を寄せるように覗きこんでくるブルネットの女の子。

 僕「えーと、えーと」

 舞い上がったのかどうしたのか、その瞬間、ローマ字が全く読めなくなってしまいました。分かるまでに数十秒かかりました。

 "chotto" "a little"

 僕「あ!」「ちょっと」です。

 女の子「チョット?」

 僕「ちょっと」

 女の子「アリガトウ」(微笑み)

 

 この思い出だけで、しばらくは幸せな空想に浸っていられたあの頃。

 

 という訳で、「青春の一冊」は書名は分からないけど、あの時の日本語の教科書ってことで。

 

 もしかしたら小学館の本だったかも? |ω・`)