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たゆたう暮らし

自分はとても関心があるけれど、世の中的にはそうでもないような事をここに書き記す。

マナーについてとりとめのない事と、少しほっこりした事

特別お題「心温まるマナーの話」by JR西日本
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/jrwest

 

 お題が出てから一週間。ブログ脳に侵された自分は、電車に乗るたびに心温まるような場面をキョロキョロ探していたのだけど、さっぱり見つからない。

 でもそれは仕方のないことだと思う。自分が乗るのはいつも満員電車だし、誰しもこころにゆとりがある状態でないと、他者のことを考えたり出来ないのだ。

 むしろ満員電車ではギスギス感が増す一方なので、普段ではないようなトラブルに発展してしまうことも多いと思う。自業自得だが、私なんかはヘッドホンの音漏れをさせていた時に、いきなり腹パンされたことがある。

 マナーや思いやりも大切だが、人を容易に暗黒面に落としてしまう満員電車の改善を切に望みます。

 というか、あんな状態を毎日我慢している我々は、そもそもどんだけマナーが良いんだって話だ。

 

 ところで、マナーって思いやりというよりは、人様に迷惑をかけないことだと思う。

 それは時代や文化によって全く違っていたりもする。20年以上前は駅でタバコを吸うことは普通だった。満員電車でなるべく迷惑にならないよう新聞を小さく折り畳んで読む姿は、新聞の衰退と共にほぼ絶滅しただろうか。小さい頃の思い出では、電車のシートでおっぱいをあげてるお母さんも普通にいた。別にマナー違反ではなかったのだと思う。

 マナーなんて窮屈なものは本来は無いに越したことはないのだけど、ある場所において人様に迷惑をかける人、または不愉快だなって思う人が一定数現れた場合にマナーというものが出来てしまうのだろう。

 例えば西洋におけるテーブルマナーなんて、自分から見て全くどうでもいいものに思えるけれど、たぶんその昔、ご飯の食べ方が致命的に汚い人々がそういう国にはたくさんいたんだろう。その結果、望むと望まざるとにかかわらず、堅苦しいテーブルマナーなんてものがきっと出来上がってしまったのだ。

 もしくはそういった国は、ご飯の食べ方にとても神経質な文化なのかもしれない。

 

 そもそも人様に迷惑をかけないよう「配慮」するっていうのは日本人の得意分野のはずである。だからこそ公共の場では一部の配慮出来ない人が目立ってしまって、すぐに何でも「マナー」「マナー」って話になってしまうのかもしれない。

 

 一方で「席を譲る」というような行為はマナーの問題とはまた違うように思う。こういった自分を差し置いて他者のことを思いやる気持ちは、欧米など小さい頃から教会通いをするような宗教心が強い国の人々に比べたら、日本人は足元もにも及ばない苦手な分野だと思う。

 

 

 あまりにも読んでいる人が多いだろうから、今さら引用するのも気がひけるけど書籍「7つの習慣」の冒頭の方に、ニューヨークの地下鉄内での印象的な出来事が書いてある。

 地下鉄で大騒ぎしている子供達と、それを放置しているお父さん。さすがに見かねてその父親に注意したところ、この家族は一時間ほど前に奥さん(お母さん)を亡くしてみんな心が混乱している状態だったのだ。そしてそれを知った瞬間から、注意した人にとって大騒ぎしている子供たちは迷惑でも何でもなくなった。

 迷惑に感じるかどうかは、こちらの気の持ちようでもあるのだ。

 

 以前、仕事で北関東方面行きの特急に乗っていた時のこと。 観光地行きのその列車は当然有閑シニアの観光客でいっぱいで、おばちゃんたちの笑い声でそれはもう賑やかでした。

 そういった列車で騒ぐのは別にマナー違反ではないと思うけど、こっちが隣の席で背広着て憂鬱そうな顔をしていたのに気を使ってくれたのか、突然おばちゃんの一人がみかんをくれた。

 「うるさくてごめんねー」

 その瞬間から騒がしい車内は、むしろほっこりした空間になった。

 マナーとは他人同士の間に発生する問題なので、少しお近づきになるだけで全く気にならなくなったりもするのだ。