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たゆたう暮らし

自分はとても関心があるけれど、世の中的にはそうでもないような事をここに書き記す。

本の感想「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」村上春樹

読書

 八月は夏休みがあったので、久しぶりに一人旅をしてみた。一人旅というものはいつだって、のんびり半分、さみしさ半分だ。

 

 旅先で本を読むのが好きなので、今回もずっと本を読んでいた。

 

 「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド村上春樹 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

 

 どこか異世界の、高い壁に囲まれた、一角獣が住む町に暮らす「夢読み」と、現実世界で、とある機密の暗号化を依頼されたことをきっかけに事件に巻き込まれていく「計算士」の物語。

  村上春樹の小説は、先の読めない物語を楽しむというスタンスだけで読んでも、それはそれで十分面白い。登場人物の気取った趣味や会話には、若干「なんだこれ」って気分になるところもあるけれど。

 でも、もし主人公の思考とどこか波長が合うなと感じたら、きっとより印象深く読めると思う。

 

 私が思うに村上春樹の物語の主人公は、空っぽでとても空虚なのだ。会話や趣味も形だけ。

 何もない自分を埋めてくれる存在を求めているけれど、それはお話によって見つかったり見つからなかったりする。

 どの小説でも、主人公たちの奇妙な冒険の物語を通じてそういった不幸せな心が救済されたり、又はされなかったりする過程を描いているのだ。

 

 

 ところで、ここのところ時々食事に行ったり遊びに行ったりしていた、とある女性がいたのだけど、八月になってから全く返信が来なくなった。

 よく研いだ包丁で大根を切った時のように、きれいにすっぱりと。

 

 ヘンテコな比喩を書いたのは、読んだばかりの村上春樹に影響されているせいだ。

 もう惚れた腫れたの年齢ではないからか、我が身のいたらなさを静かに受け入れて、村上春樹の主人公よろしく、内省的な気分の自分がいたりする。

そういう意味では公正さは愛情に似ている。与えようとするものが求められているものと合致しないのだ。だからこそいろんなものが私の前を、あるいは私の中を通り過ぎていってしまったのだ。

 果たして主体性のない人生を歩む人間に、祝福はあるのだろうか。

 長年のうちに心の奥底に蓄積した、言葉にも涙にも出来ない哀しみを癒すことはできるのだろうか。

 自分にとって「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」はつまるところ、そういうお話だった。