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たゆたう暮らし

自分はとても関心があるけれど、世の中的にはそうでもないような事をここに書き記す。

【ノーベル賞】ボブ・ディランに見当違いのレッテルがまた1つ貼られた

映画 音楽

 2016年のノーベル文学賞ボブ・ディランが選ばれた。

 でも10月14日現在、本人の受賞に対するコメントはなく、オフィシャルサイトでも全くのスルー状態。

 無視、沈黙、ノーコメントで連絡すら取れないっていうのが全くもってボブ・ディランぽいなと思うのだけど、そもそも彼がどんな人物なのかよく知らない人も多いんではないだろうか。

 まあ私だって90年代頃からの来日公演は大体足を運んでいるけれど、60年代当時のアメリカの熱狂的人気をリアルタイムに知ってるわけではなく、2005年に公開されたドキュメンタリー映画がボブ・ディランのイメージだ。

 もちろん映画なので、マーティン・スコセッシという映画作家が切り取ったボブ・ディランのある側面に過ぎず、本当の彼は全然違うのかもしれないけど。

 "Bob Dylan / No Direction Home"

 映画のタイトルは彼の代表曲の1つである「ライク・ア・ローリング・ストーン」の歌詞の一節。

 今となってはハモンド・オルガンの音など古臭く感じるかもしれないけれど、間違いなくロック史上における最重要曲の1つであり、好きとか嫌いとかの次元を超えたマスターピース。この曲の革新性とか意義だとか、詳しい解説はウィキペディアで。

 ライク・ア・ローリング・ストーン - Wikipedia

 How does it feel (どんな気分だい)

 How does it feel

 To be on your own (自分ひとりになるってことは)

 With no direction home (向かう家もなく)

 Like a complete unknown (全く人に知られずに)

 Like a rolling stone (転がり続ける石みたいに)

 「ノー・ディレクション・ホーム」はディランが20代前半でデビューしてから「ライク・ア・ローリング・ストーン」を発表してツアーに出る頃まで(〜66年)の5年くらいの活動を描いたドキュメンタリー映画だ。

  デビュー当時のディランは、反ベトナム戦争公民権運動などが盛り上がっていた60年代のアメリカの空気や当時の社会的弱者の気持ちを的確に感じ取り、それを伝統的フォークミュージックに乗せて、文学的あるいは詩的な暗喩を用いて歌ったことによりカリスマ的な人気を得た。

 今回のノーベル文学賞も、そういった歌詞の影響力と芸術性に対して贈られたものなんだろう。

 でもこの映画には、彼に「時代の代弁者」だとか「何とかの良心」だとかのレッテルを貼って社会的な枠にはめようとする人々に対して、ディランが強烈な違和感を感じている姿が収められている。

 映画中にはディランとマスコミが対峙する場面が何度も出てくるけれど、彼はマスコミの質問に対して体裁よく受け答えすることが出来ず、いつも不器用で攻撃的だ。

 ディランはインタビューでこんな風に語ってる。

ある時から自分に対して歪んだ見方をする人々が増えてきた。特に音楽の世界以外のところから。

歌を作って歌う人間が、社会の問題に対する答えを持っているとマスコミは思い込んでいる。 

 ボブ・ディランという人は、時事問題や政治問題を優れた歌にしてきたけれど、自ら反対運動の先頭に立ったり、政治的な主張をするような人ではない。

 世間から、主張することや社会的な責任を求められても、ディランにとってはそんなことは関係ない。今でもマスコミはノーベル文学賞の報道の中で、「彼の歌にあるメッセージ性」云々といった解説を付けていると思うけど、そもそも彼はマスコミの前では歌詞に時事的なメッセージが込められてることすら否定する。

DJ「はげしい雨が降る」だけど、これは原子爆弾の雨のこと?

ディラン「皆そう言うが、ただの激しい雨だよ」

いつかバカどもが僕の歌について書く。何を歌ってるのか僕にもよく分からないのに。

 

 彼のスタンスは社会派シンガーではなく、あくまでもアメリカン・ミュージックの探求者だ。

 1965年の夏。ニューポート・ジャズ・フェスティバルというフォークミュージックのお祭りで、ボブ・ディランエレキギターの爆音ロックを演奏した。

 ボブ・ディランが聴衆の期待を裏切って、フォークシンガーからロックミュージシャンに転身した日。 現在のロックミュージックが誕生した瞬間とも言われているこの事件は、別の映画にもなっている。ちなみにその時のディランを演じているのはケイト・ブランシェット! 男装がクールすぎる。

アイム・ノット・ゼア」(I'm Not There) 2007年

  「ノー・ディレクション・ホーム」によれば、ボブ・ディラン自身としては、世間にレッテルを貼られることはもう慣れっこというか意に介してないみたいだ。彼は大衆の望むことなんて押し返して、自分のやりたいことを押し通す力があるのだから。

 ノーベル文学賞もこのままスルーしたら、とても痛快でかっこいいのだけど。

  彼の歌詞は、新しい詩的表現を創造したという点で革新的なものであったのかもしれないけれど、そこだけを抜き出して「文学」として評価するのは少し違うような気がする。評価されるとすれば、それは彼のサウンドも含めた音楽性全体としてでないと意味がないように音楽ファンとしては思う。